また、社会福祉に関連する法整備が始まる時代でもあります。戦争などの時代背景を踏まえて、どのような法律が制定され、現代ではどうなっているのかを把握しましょう。
- 近代の社会福祉
- 大正の社会福祉
- 昭和(第二次世界大戦終戦まで)の社会福祉
社会福祉とは
社会保障制度に関する勧告(50年勧告)によると、「社会福祉とは、国家扶助の適用をうけている者、身体障害者、児童、その他援護育成を要する者が、自立してその能力を発揮できるよう、必要な生活指導、更生補導、その他の援護育成を行うこと」とされています。
つまり社会福祉とは、何らかの理由で、自分だけでは自身の生活が維持できない場合に、国や地方自治体などが自立を支援していくことです。

日本における社会福祉の歴史
日本の時代区分は、以下の通りです。
| 時代区分 | 時代 |
|---|---|
| 古代 | おおむね国家形成から平安時代まで |
| 中世 | おおむね鎌倉〜室町・戦国時代まで |
| 近世 | 江戸時代 |
| 近代 | 幕末・明治維新以後から第二次世界大戦終結ごろまで |
| 現代 | 1945年以後〜現在 |
近代には明治、大正、昭和(第二次世界大戦終戦まで)が含まれます。本項では、その近代の社会福祉について掘り下げていきます。


終戦直後の社会福祉
終戦直後の日本では、第二次世界大戦による戦災に加え、失業、インフレ、食糧危機などが重なり、生活に困る人が急増しました。
政府はまず1945年12月に「生活困窮者緊急生活援護要綱」で応急対応を行い、その後、GHQの「社会救済に関する覚書」によって、国家責任・無差別平等・最低生活保障という公的扶助の考え方が強く打ち出されました。これを受け、1946年には旧生活保護法が制定され、戦前の救護法、母子保護法、軍事扶助法、医療保護法などは一本化されます。
旧生活保護法が制定された後、日本国憲法が1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。第25条では、生存権と国の社会福祉・社会保障向上の責務が示され、戦後福祉は「慈善」ではなく、国が制度として支える方向へ進みます。
戦後の混乱に対応するために旧生活保護法が先に作られたため、日本国憲法第25条の生存権保障の考え方に十分合うように、1950年に旧生活保護法が全面改正され、現行の生活保護法が制定されました。
こうした流れの中で、1950年10月の社会保障制度審議会による「社会保障制度に関する勧告(50年勧告)」は、社会福祉を、生活保護を受ける人、身体障害者、児童など、援護や育成を必要とする人が、自立して能力を発揮できるよう支えるものと整理しました。
これは、戦後直後の社会福祉が単なる救済にとどまらず、生活指導や更生補導を通じて自立を支える方向へ広がっていったことを示しています
さらに、戦災孤児や困窮家庭の子どもへの対応として1947年に児童福祉法、戦争で増えた身体障害者への対応として1949年に身体障害者福祉法、そして1950年には生活保護法が改正され、これらは「福祉三法」と呼ばれます。
福祉三法は児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法の三法。
同じく1950年には、精神病者監護法と精神病院法が廃止され、精神衛生法も制定されます。精神衛生法は、精神障害者に対する発病後の事後措置に加え、国民の精神的健康の保持向上まで視野に入れた法律として作られたものです。精神衛生は1987年に、精神保健法に改正されます。
続く1951年の社会福祉事業法(現・社会福祉法)は、社会福祉法人、福祉事務所、共同募金、社会福祉協議会などを位置づけ、公私の役割分担を含む戦後社会福祉の共通基盤を整えました。
つまり終戦直後の社会福祉は、戦争被害への応急的な救済から出発し、日本国憲法第25条を土台として、生活保護法による最低生活保障へ進み、さらに50年勧告によって「自立を支える福祉」という考え方が整理され、福祉三法や社会福祉事業法へと制度化が進んでいったと整理できます。
「誰に、どんな福祉を、行政責任で実施するか」を定める法律の集まりが、福祉三法。これらを運営するための基本的共通事項を定める基盤法が社会福祉事業法。
高度経済成長期の社会福祉
日本は、戦後の復興需要に加えて、朝鮮戦争特需、海外技術の導入、若く多い労働力、高い貯蓄と設備投資が重なり、1955年から1973年の第一次オイルショックまで平均で高い成長を続けました。
高度経済成長期には、経済成長の恩恵が広がる一方で、都市への人口集中、核家族化、就業構造の変化によって、「高齢者の生活と介護の問題」や「家族や地域の支えそのものの弱まり」などの生活問題が目立つようになってきます。
この時期の柱は、国民皆保険・皆年金体制の成立です。国民健康保険法は1958年改正で市町村中心の制度として立て直され、国民年金法は1959年に制定されました。その結果、1961年に、被用者保険に入らない自営業者や農業従事者なども含めて、医療保険は健康保険か国民健康保険、年金は厚生年金か国民年金のいずれかに加入する仕組みが実現し、国民皆保険・皆年金が成立しました。
一方、福祉分野では、戦後の福祉三法である生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法だけでは対応できない課題が明確になりました。その後に精神薄弱者福祉法(1960年、現・知的障害者福祉法)、老人福祉法(1963年)、母子福祉法(1964年)が加わり、福祉六法となり、社会福祉の充実が図られています。
社会福祉六法は、福祉三法(児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法)と精神薄弱者福祉法(現知的障害者福祉法)、老人福祉法、母子福祉法(現母子及び父子並びに寡婦福祉法)の六つ。
1970年には、日本の総人口に占める65歳以上の割合が7%を突破し、高齢化社会を迎え、高齢者福祉の必要性が浮き彫りになります。
当時は高度経済成長で制度拡充の余力があったため、1973年に福祉元年と呼ばれる給付拡大が行われました。その内容は、老人医療費無料化、家族7割給付、高額療養費制度、5万円年金、物価スライド導入など多岐に渡ります。
要するに、高度経済成長期の社会福祉は、国民健康保険法と国民年金法を基盤に国民皆保険・皆年金を実現しつつ、福祉三法では拾いきれなかった知的障害者、高齢者、母子家庭への支援を法制度として独立させ、福祉六法体制へ進んだ時代とまとめられます。
経済成長の時代であると同時に、現代日本の社会保障と属性別福祉の骨格が整った時代でもありました。しかし、1973年10月、第一次オイルショックを契機に高度経済成長は終わり、以後は安定成長と財政見直しの時代に入ります。
低成長期の社会福祉
1973年の第一次オイルショック以後、日本の社会保障・社会福祉政策は、高度経済成長を前提に給付を広げる段階から、財政の持続可能性を意識して制度を見直す段階へ移りました。
この時期には、経済の低成長化に加えて、高齢化の進行も社会福祉の重要な背景になりました。家族だけで高齢者を支えることが難しくなり、福祉政策でも高齢者の生活、健康、介護をどう支えるかが重視されるようになります。こうした中で1979年の「新経済社会7カ年計画」では、国がすべてを担うのではなく、自助努力や家庭、地域社会の支えも重視する「日本型福祉社会」の考え方が打ち出されました。
低成長期の高齢者対策を考えるうえで重要なのが、1963年の老人福祉法と、1982年制定・1983年全面施行の老人保健法です。
老人福祉法は、高齢者の心身の健康保持と生活の安定のために必要な措置を定める法律であり、特別養護老人ホームなど、高齢者の生活を支える福祉の基盤を整えました。
これに対して老人保健法は、疾病予防、治療、機能訓練などを総合的に実施し、高齢者の健康保持と適切な医療の確保を図る法律です。
老人福祉法と老人保健法の違いを一言でいえば、老人福祉法は「生活・福祉」を支える法律、老人保健法は「健康・医療・予防」を支える法律です。
老人福祉だけでなく、障害者福祉においても転換がありました。1987年に精神衛生法が精神保健法に改正され、入院中心から地域中心へ少しずつ重心を移す考え方が強まり、任意入院の制度化や社会復帰施設の法定化などが進みます。
低成長期の社会福祉は、オイルショック後の厳しい財政状況の中で、拡大してきた社会保障制度を立て直しつつ、高齢化に本格対応していく時代でした。日本型福祉社会のもとで家族や地域の役割が重視され、老人福祉法による生活支援と、老人保健法による保健・医療支援が整えられ、のちのゴールドプランへつながる土台が作られていきました。
少子高齢化対応期の社会福祉
少子高齢化対応期の社会福祉は、1989年のゴールドプランから1990年代後半の社会福祉基礎構造改革前までの流れとして整理できます。
この時期は、高齢化の進行に加えて、核家族化や女性の就業拡大により、家庭だけで高齢者介護や子育てを支えることが難しくなっていった時代です。そこで1989年にはゴールドプランが策定され、ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイ、特別養護老人ホームなどの整備を進め、在宅福祉を本格的に広げる方向が示されました。
この流れを制度面で支えたのが、1990年の福祉八法改正です。
福祉八法改正の対象は、老人福祉法、身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法、児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、社会福祉事業法、老人保健法、社会福祉・医療事業団法の八つの法律を指します。
福祉八法改正は、福祉六法に老人保健法、社会福祉・医療事業団法、社会福祉事業法を加え、生活保護法を除いたものです。単純に福祉六法+二法令ではないので注意しましょう。
1990年改正では、ゴールドプランを実施する体制づくりのため、福祉サービスの実施主体を市町村中心へ移し、各自治体に老人保健福祉計画の策定を求めるなど、地域で計画的に福祉を進める仕組みが整えられました。
さらに1995年には、障害者分野でも地域生活支援を具体化するために、障害者プラン(ノーマライゼーション7か年戦略)が策定されました。これは、グループホームや福祉ホームの整備、在宅介護サービスの充実、バリアフリー化、就労支援、精神障害者の社会復帰施策などを具体的な目標を示しながら推進した点に特色があります。
同年には精神保健法が精神保健及び精神障害者福祉に関する法律へ改められ、精神障害者の社会復帰、自立、社会経済活動への参加、そして福祉の増進がより明確に位置づけられました。
つまり、この時期の社会福祉は、高齢者だけでなく障害者についても、施設に収容する福祉から、地域で共に暮らす福祉へと重心を移していったといえます。
一方で、1990年の1.57ショックによって少子化も深刻な社会問題として強く意識されるようになり、1994年にはエンゼルプランが策定されました。
1.57ショックとは、1989年の出生率1.57が1966年の1.58を下回り、少子化が深刻な社会問題として意識された出来事です。1966年はひのえうまによる例外的な低下だったのに、それを1989年が下回ったため、少子化が一時的ではなく深刻な構造問題だと認識されました。
こうしてこの時期の社会福祉は、高齢者介護への対応を進めるだけでなく、子育て支援にも政策の重点を広げ、家族依存型の福祉から地域・在宅型の福祉へ移っていく時代となりました。そして、この流れがのちの社会福祉基礎構造改革へつながっていきます。
現在の社会福祉
少子高齢化対応期を経て、1997年には社会福祉基礎構造改革の議論が始まり、社会福祉は大きな転換点を迎えました。従来は、行政が必要性を判断してサービスを決定する措置制度が中心でしたが、改革では、本人の希望や選択を大切にし、その人に合った支援を地域で受けながら生活を続けられる福祉へ変えていく方向が示されました。
この流れを受けて、2000年には社会福祉事業法が社会福祉法へ改められました。社会福祉法は、福祉サービスの利用者の利益を守ることや、地域福祉を進めることを基本に置いています。
また、同じ2000年には介護保険制度が始まり、高齢者介護は行政が一方的に決める措置中心の仕組みから、利用者が必要なサービスを選び、事業者と契約して利用する仕組みへ大きく変わりました。
つまり、福祉は「行政が決めて与えるもの」から、「本人が必要な支援を選び、地域の中で安心して暮らせるよう支えるもの」へと考え方が変わっていったのです。
さらに現在の社会福祉は、高齢者、障害者、子どもといった分野ごとの支援だけではなく、貧困、孤立、介護、子育て、ひきこもりなど、複数の困りごとが重なった人を地域全体で支える方向へ進んでいます。
厚生労働省はこれを地域共生社会として進めており、現在は市町村に包括的な支援体制の整備が努力義務として求められています。つまり現代の社会福祉は、利用者本位と地域共生を軸に、一人ひとりの暮らしを地域で支える仕組みへ発展してきたとまとめられます。
まとめ
日本の社会福祉は、時代ごとの社会問題に応じて、少しずつ対象と役割を広げながら発展してきました。
終戦直後には、戦災や生活困窮への応急的な救済が中心でしたが、日本国憲法第25条や50年勧告を背景に、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、社会福祉事業法などが整えられ、「国が責任をもって支える福祉」の基礎が築かれていきました。
高度経済成長期には、国民皆保険・皆年金が実現し、福祉三法では十分に対応しきれなかった高齢者、知的障害者、母子家庭への支援が福祉六法として制度化され、社会福祉の対象が大きく広がりました。
その後、オイルショック以降の低成長期には、財政の持続可能性を意識しながら、高齢化に対応するための老人福祉法と老人保健法の役割分担が明確になり、少子高齢化対応期には、ゴールドプランや福祉八法改正を通じて、施設中心から地域・在宅中心の福祉へと重心が移っていきます。
そして現在は、社会福祉基礎構造改革や社会福祉法、介護保険制度を経て、利用者本位と地域共生を軸に、高齢者、障害者、子ども、生活困窮者などの複合的な困りごとを地域全体で支える方向へ進んでいます。つまり、日本の社会福祉の歴史は、救済から自立支援へ、措置から利用者本位へ、家族依存から地域共生へと発展してきた歴史だとまとめることができます。

